◆「ブリスベン出張と折り紙」◆


  オーストラリアに一度行ったことがある。初めての海外出張であるドイツ・ミュンヘンから帰って、2週間ほど経った頃に急にそんな話が舞い込んできた。5月末のことであった。ドイツに初めて海外出張へいくまで、なかなか海外出張の機会がなかったが、一旦行くと立て続けにあるもんだな、とその時はそんな想いがした。そのオーストラリア出張の要請はこうだった。その数年前にオーストラリアの顧客から、沿岸主要都市を衛星回線で結ぶ衛星通信システムを受注していた。その通信機設計を担当し少し前に装置を出荷納入していた。システム全体の運用が開始され、所属していた部署からも何人かが長期間、現地に常駐していた。そんな時、僕が設計を担当したシステムが非常に少ない頻度だが「異常らしき事象を発する」という連絡があった。現地の保守担当社員はいろいろとその原因を探ってくれたのであるが根本原因は掴めていなかった。そこで、設計者である僕に対して、「オーストラリアの現地に行って原因究明してこい。」ということになったのである.


シドニー全景

ドイツから帰国して初めての海外出張の余韻に浸っていた矢先、その突然の命令に少々驚いた。再び一人で行って来いというのである。必要なものは何か?何でも用意してやる、と言われた。そこで「最新鋭の測定器が必要である。」と要望した。「その測定器がなければ調査できない。」といったところ、シドニーで手配してやると直ぐに返事が来た。調査するべき現地とはオーストラリア東岸都市、ブリスベンであった。ブリスベンは、シドニーから北へヒコーキで1時間ほどの観光都市であった。ゴールドコーストにも近かった。僕はオーストラリアのことは全く知らなかったが、あれよあれよという間に準備がされてしまった。当時オーストラリアにはビザが必要であったが、それも誰かが取得してくれた。お膳立てが出来てしまってもう逃げることは許されない状況になってしまった。意を決して行くことにした。


ブリスベンホテル

往きは、シンガポール経由であった。シンガポールのチャンギ国際空港で乗り継ぎのため長い時間待ち合わせたのを記憶している。カンタス航空に乗り換えシドニー空港へ降り立った。現地では品質保証部の担当者が出迎えてくれた。シドニーにも同様な衛星通信地球局が設置されておりその担当者は地球局の保守要員として長期の滞在をしていた。シドニーの地球局で準備と訓練のために2泊した後に、再びヒコーキでブリスベンに移動した。ここからは一人で移動だ。シドニーで手配してもらった最新鋭の測定器を片手に持ちブリスベンまで移動した。


ブリスベンの地球局には、顧客の保守駐在員が一名居た。グラハムという男だった。故障解析に日本から技術者が来ることは既に連絡が入っていたのかグラハムはスムーズに応対してくれた。衛星通信の地球局はどこの局でも同じであるが、遥か36000kmの宇宙に浮かぶ衛星を中継器とした無線システムであるため、地球局では大電力で無線通信する。高出力の送受信機があり熱を出すため、局内は強力な冷房設備が備えてある。このブリスベンの局舎でもそうであった。涼しいというよりも通信機が置かれている部屋は「寒い」のである。この冷房が効きすぎた部屋に入ると自分が設計担当した通信装置に久しぶりに再会した。


衛星通信局

 ここからが自分の仕事であった。故障するといっても、ずっと故障しているのであれば原因が直ちに特定し修復できる。この時の現象はそうではなかった。約1日に1回、それも不定期にほんの一瞬だけその妙な不具合現象を起こしていた。いつ起こるかは予想できない。発生したその瞬間の現象を捉える必要があった。予め日本で関係者と協議しておいた、いくつかの思い当たる原因の箇所に持ち込んだ最新鋭の測定器を繋ぎこんで現象を捕まえる仕掛けをした。この測定器では、ある原因をトリガーとして時間軸上の現象を記録することができた。「極寒」の通信機室で震えながらその現象の発生をひたすらじっと待ったが1日目は見事に空振りに終わった。仕方ないので、すごすごとその第一日目は宿泊していたモーテルに帰った。ブリスベンは観光都市である。街中にブリスベン川が蛇行しながら流れており、夜になるとその土手にイルミネーションランプが煌びやかに点灯され、とても綺麗であった。しかし、そんな観光を楽しんでいるわけにはいかなかった。この不具合を解決してやらねば、日本に帰れないかもしれないのだ。設計者が現地に調査に出向くということは最後の解決手段である。設計者である自分が原因究明できなければ、誰にも解決できない。そんな意気込みであった。


グラハム氏と娘

第二日目に同様の仕掛けを施しその現象が発生するのをひたすら待った。そしてついにその日の午後3時頃、幸運にもその現象は発生し、自分の仕掛けた測定器にタイミングチャートが描かれた。そのチャートを見るとすぐさまその原因を突き止めることができた。なんと、単なるモード設定ミスであったのだ。その装置内にあるモード設定が設計の意図に反して間違って設定されていたのである。原因が解かってしまえば簡単であった。その状況を駐在職員のグラハムに告げ、設定を正しくしてあと1日様子を見ることにした。その現象の再発生がなければ、解決したものとして僕は帰国するとグラハムに伝えた。次の日、その現象はもう発生しなかった。僕はたどたどしい英語でレポートを作成しその保守駐在員にすべて完了したことを告げて提出した。


グラハムは気さくな人間で、地球局の近くに住んでいた。時々奥さんと二人の娘がグラハムの仕事場にやってきていた。上の娘は幼稚園に通っていると言っていた。仕事の合間にその幼稚園の娘に持参していた「折り紙」を使って鶴とか百合の花を折ってやった。娘は大層に喜んでくれた。「日本はどこにあるの」などとかわいらしい質問もしてくれた。この折り紙の小技は、ドイツに行ったときにあのやきもきさせてくれた知原さんに教えてもらったのである。海外に行くときには財布の中に少し小さめの折り紙を所持していると外人とのコミュニケーションをとるときに役に立つことがある、と教えてもらっていた。早速この小技をオーストラリアで実践して、折り紙はその小さなかわいい娘に役に立ったのである。  こうして、ブリスベンでの二回目の海外出張は目的を成功裏に達成し終わった。再びシドニーへ引き返し今度は直行便で帰国した。一ヶ月の間に立て続けにドイツとオーストラリアに海外出張したことになる。今までずっと海外出張に行く機会がなかったが、一挙にこれまで溜まっていた分が巡ってきたのかな、などと帰国便の窓から太平洋の大海原を眺めながら感慨に耽っていた。(平成15年6月21日記)



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