◆「バック・ツウ・ザ・フューチャーPartU」◆


今年は2015年。 映画、「バック・ツウ・ザ・フューチャーPartU」(以下、省略してBTTF−P2またはP2と記す。またPartTをP1、partVをP3と記す。)で1985年現在から30年後の「未来」として描かれた年である。このBTTF−P2の映画が封切されたのが1989年(平成元年)の12月。友人と共にこのBTTF−P2を鑑賞した際のエッセイである。

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PartU(P2)であるからPartT(P1)がそれ以前に封切されていたのであるが、友人はこのBTTFーP1の映画の楽しさ面白さを事前に僕に話をしてくれていた。 「だから、言ったろう。マーティのお母さんのロレーンはマーティに一目惚れしてしまって、そのままだと、自分の存在がなくなってしまうので父のジョージと協力して再び父と母をくっつけようと四苦八苦するんだ。マーティはぎりぎりでタイムマシンで現在に戻らなければならないし、雷は落ちて来るし、色々と大変なんだよ。とにかく、悪役のビフは、こやしに埋まっちゃうし。分かった?分かったろう?。本当にわかった?」と友人は、映画館に入ってからも僕にこんな調子で熱心に教えてくれた。友人は一生懸命、僕に説明してくれていたんだろうが、僕は何回その説明を聞いてもさっぱり分からなかった。ただ、この映画P2の前評判は雑誌等で薄薄は知っていた。およそ社会人になってからは、ほとんど映画鑑賞にいく時間もなかったのでどんな映画が流行っているのかさえ頓着していなかった。当時は全くの仕事人間だったのである。

 いよいよBTTF−P2の鑑賞が始まった。上映が始まっても、めまぐるしく画面が変わることもあり、またそのストーリーについて事前にP1を観ていない者にとっては何が何だかさっぱり分からないことが暫くして分かった。僕は友人には悪かったが、時々居眠りをしていたのである。友人と映画館の聴衆が時おり思い出したようにどよめき、爆笑する場面がありそんなタイミングではっと目を覚まし、「何が面白いんだろう?」などと一人で首をひねっていた。友人は上映中にも例によって小声で「だから前も肥やしに埋まったんだよ。」と説明してくれた。そして上映が終盤になり、「To be Concluded !」とのラストシーンが映し出された。すなわち「つづく」である。この映画の第3作(BTTF−P3)が約半年後の夏に封切りとなるという予告であった。友人と二人で映画館を出て、新宿の居酒屋でこの話に花が咲いた。友人は「あー楽しかったなあ。P3もまた、一緒に見に行こうな。」と言ってくれた。もちろん僕は「うん」といった。でも僕は、この時点でも、この映画の半分も三分の一も理解していなかったのである。ただ、友人がこんなに面白がっているのであるから、多分最初から観たらきっと面白いんだろうな、と思ってそう言ったのである。

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 さて、この映画を観た人で、P2を最初に見た人は、きっと僕と同じような想いを抱いたはずである。事前にP1のビデオを観るなどして予習をしてからP2を観にいくべきだった。僕は、自宅に帰る途中、早速ビデオレンタル屋に寄って、BTTF−P1のビデオを借りてきた。そして、この映画BTTFのシナリオの面白さを改めて知った。居眠りしながら観たBTTF−P2のストーリーを思い出しても頭がこんがらがって、よく思い出せなかった。それで、また一人で、映画館へ行き2度目のBTTTF−P2を鑑賞したのである。ようやくP1も含めてP2のストーリーを理解したのである。友人が、何故あの場面、あのシーンで面白がったのかやっと理解できたのである。次に友人と会ったとき、やっとこの映画の楽しさが分かったよ、と打ち明けたのであった。

 これまでもタイムマシンを使ったSF映画は数多くあったが、30年昔、30年未来というごく短いタイムスリップというところにまず基本的なこの映画の脚本のすばらしさがある。誰しも30年程度の昔、30年後の未来は、個々の人生経過の範囲内であり、また、自分の届きうる未来、過去の範囲である。身近に興味が持てる範囲ということになる。これは主人公をして、誰しもがこの映画のシーンに引き込まれる原因となっているのであろう。また、第1作のP1と第2作のP2は共に、1955年が時間の交差点となっており、この1955年のシーンを主人公だけでなく映画の聴衆にも共通の経験として回想させる点にシナリオの面白さが存在している。僕は、この映画を3本ともビデオを持っており、時々、思い出したように観る事があるが、観るたびにに細かいシーンでの脚本のすばらしさを再認識するのである。洋画の脚本は木目が細かい。ただただ感服するだけである。たとえばP1にはP2の、P2にはP3の予告シーンと思われるシーンを埋め込ませ、その時は何気なし観ているのであるが、その脳裏に焼き付けられたシーンが次の映画鑑賞の時に知らず知らずに思い起こさせられるのである。例えば、P2中で変わり果てた別世界の1985年のシーン内で、悪役ビフが、二人の美女を従えて、大きなバスタブに漬かりながら映画を見ているシーンがでてくる。このシーンでは古い西部劇が映し出され、決闘シーンがある。衣の下に隠した鉄板で相手の放った銃弾を防御するというシーンを映し出されている。このシーンはP2では何の意味を持たない1カットであるが、実はこれはP3では、マーティとマッド・タネン(ビフの先祖)との重要な決闘場面の予告シーンとなっている。P3ではマーティがこの鉄板の防御手段を使ってマッド・タネンを逆転でやっつけるのである。心憎いまでの演出である。

 初めて友人と鑑賞したBTTF−P2の中で「未来」の姿をスクリーンに映し出すのはたいへん難しかっただろう。30年後の未来の各シーンは、1985年現在から予測された、近未来シーンであるため、あまりにも超越しすぎても駄目だし、殆ど進歩していないのも駄目である。その進歩度合いの程度が難しいと思われたが、「さもありなん」と思わせる程度に仕上がっているのが受けている。30年後のヒルバレイにデロリアンが降り立った時、天気予報が秒単位で的中すること、喫茶店の中の様子などがこんな風に変化するであろうと表現されているシーンはなるほどと思わせるシーンをあるが、まさか30年後にもこうはなっているはずはないと思える場面もある。いずれにしろ、よくそのシナリオ作成関係者が未来予測の専門家と協議した結果と思わせる場面が多々ある。女性のおまわりさんが路地裏で眠っていたジェニファーを見つけパトカーで自宅まで送り届け、その後をデロリアンでドクとマーティーが追いかけて連れ戻そうとするシーンがある。その未来の自宅付近の道にデロリアンを停車させたとき、犬がそのロープとともに道に沿って散歩しているシーンが映し出されている。友人と一緒に映画館で観たときには、この犬が歩いているシーンをみてもピンと来なかったが、後々ビデオで見てみるとロープの先に何か機械らしきものが一緒に動いている。おそらく犬の散歩専用ロボットを表現していたのであろうとやっと理解することができた。確かに現在の技術でもそんなロボットを作ろうという構想がある。空を飛ぶかどうかは怪しいが、案外この時期には本当に実現しているかもしれない。

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 30年後のマーティが、自宅に帰宅して悪友のニードルスとTV電話で通信するシーンがあるが、その未来型の電話会社がやはり「AT&T」であるのは笑えた。今ももう疲弊しているAT&Tが30年後の未来でも通信事業を継続いているとは思えなかったからである。このTV電話の大画面をよく観察してみると、話し相手のニードルスの顔が大画面に映し出されている画面の下にニードルスのプロフィール(名前、住所、生年月日、そして家族構成、趣味など)がテロップで同時に映し出されている。シナリオを作成するときに未来型の電話はきっとこんな風になることを映画の脚本家はAT&Tなどと協議したのであろうか、などと思うと興味深い。ニードルスに「チキン!」という言葉でそそのかされたその未来のマーティは、悪事に手を染めてしまうがそれをモニターしていた勤務先の社長が次にそのTV電話の大型スクリーンに映し出される。その社長の名前が「富士通・伊藤」である。いくら30年後の未来でも、日系人社長のファーストネームが「富士通」という名前はまさか無かろうに、と思ったが、映画プロデューサー/脚本家がこの名前を選んだのには何か裏の意味があったのであろうか、などと想像すると面白い。

 僕は、このP1、P2およびP3の登場人物で好きなキャラクターは、マーティでもジェニファーでもない。彼ら二人は恰好よすぎる。マーティの父親のジョージが身近で好きだ。不器用でドジな彼のキャラクターに大部分の聴衆は親近感を覚えるのでないだろうか。P1での学校での学友生活の描写は誰にでも思い当たる節があるはずである。P1の中でジョージが、マーティにそそのかされて、ロレーンにしどろもどろの台詞で愛を告白するシーンは秀逸である。「You are my Destiny !」と。

 P3はがらっと局面が変わって、時代が1885年、ドクとクララの恋物語を中心にいつものようにはらはらどきどきの展開である。このクララのキャラクタは僕も好きだ。愛する人をがむしゃらに追いかける女性の姿は、女の性とは言うものの、心を打たれ、何事にも勝る強さがある。ドクはクララに対して「自分の住んでいる世界に戻らなければならない。」と突然の別れを告げる。その理由が「自分はタイムマシンで100年先の未来からやって来た。」と告白する。しかしクララは俄かには信じられず、別れるための口実だとドクの頬を殴りベットに泣き伏すシーンがある。100年の時代を超えた恋人は本来遭遇することはない。にもかかわらずドクの作ったタイムマシンにより二人は出会い、恋に落ちてしまった。この時代で生きてクララと一緒に暮らすと一旦は決心したドクに対してマーティは、1985年の本来、生きるべき時代に戻るべきだと説得し泣く泣くドクはクララに真実を告白するのである。このシーンが痛く僕の心を打つのである。女性の真の深い愛情は何事にも代え難いものである。唯一すくわれるのは、BTTF−P3のラストシーンでは、ドクとクララの関係はハッピーエンドになったということである。

(2002年8月30日記。2015年5月編集)


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