◆「初めてのコーヒー」◆


カラスが鳴かない日はあってもコーヒーを飲まない日はない、というくらいコーヒーは身近な嗜好飲料となっている。 ずっと前の私の田舎生活当時ではそうでもなかった。父母が仕事の合間に一息入れるときの飲み物はお茶ばかりで、 田畑での野良仕事時は薬缶ごと必ず作業現場へ持参したものである。したがってお茶とは異なる、コーヒーなる飲み物は 少し高級な飲み物に位置づけされ、来客時のおもてなし用の飲み物として出されるようになったのは私が小学生時代で あったろうか。 母は、少し洒落ものを好んでいたからだろうか、当時のトレンドだったからかもしれないが、近所からの来客時などに好んで コーヒーでおもてなしをしていた。水屋の奥から普段はめったに使わない受け皿付きのコーヒーカップを取り出して コーヒーを入れていたものである。私は傍らでその様子を見ながらコーヒーなる飲み物には真四角の白い角砂糖が 付属することにどちらかいうと興味があり、黒く濁った苦い味の液体に、角砂糖を入れることによってほろ苦さと甘味が 中和したこの飲み物に興味が少し出ていたのかもしれない。


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この時代のこの田舎生活でのコーヒーは、いわゆるインスタントコーヒーのことである。そこかしこで市販されていた、 ネスカフェだったと思われる。それこそがコーヒーという飲み物そのものであると信じていた。他にあるとも思っていなかった 時代である。周辺にコーヒー店など存在せず、ごく希に市街地に行ったときに目にした喫茶店の飲み物はコーヒーに限らず、 どれも目が飛び出るくらい高価に思えていた頃のことであるから、そんなお店に入ることはほとんど無かった。 煎ったコーヒー豆を磨り潰して、コーヒーサイホンやペーパーフィルターなどで濾す、本格的な「レギュラーコーヒー」を 身近に体験したのは、大学入学してからのことであった。


 大学生活にようやく慣れてきた一年生の時だったと記憶する。友人K君と一緒にアルバイト先に行った時のことである。 小さな工事会社の下働きのアルバイトだっと記憶する。 朝早い集合場所はその社長の事務所だった。アルバイトにもまだ慣れていない二人はその社長に朝の挨拶をして、 もじもじしながらその事務所の片隅に佇んで居ると、その社長も世代が異なる初対面の二人の若い学生に どう接したら良いのか分からない風であった。なんとかその場の空気を和ませようとしているようにも見て取れた。


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「もう少ししたら仕事の現場へ移動してもらうけど、まだ暫く時間があるので、そこにあるコーヒーを淹れてくれんかなあ。」 と二人に指示をした。アルバイト先での最初の業務がコーヒーを淹れることだったのだ。 友人K君とともに、その社長が指示した、レギュラーコーヒーを淹れるための道具一式の前に移動した。 ここから二人はコーヒー抽出の作業に入るのだが、二人とも、コーヒーショップなどでコーヒーは飲んだことはもちろんあったので お店のマスターがコーヒーを淹れている様子、手順は見たこともあった。が、自分自身でレギュラーコーヒーを淹れたことは なかったのである。二人は小声でぼそぼそ会話を交わしながら作業に入っていった。お湯を沸かしながら、コーヒーサーバーの上に ドリッパーを乗せ、ペーパーフィルターをセットするところまでは良かったんだが、はて、コーヒー豆をコーヒーミルで擦りつぶす加減と その量が良くわからない。友人K君は、「まあ、適当な量で良いんじゃない。」という言葉に少しだけ勇気づけられて、 多めの豆を擦りつぶした後、それをペーパーフィルタ内に移してみた。今から思い返すと明らかに量が多く、湯を注いだら直ぐに ペーパーから溢れ出る量だったのである。初めての経験だったのでそれも分からぬままに、沸騰したポットのお湯を注いでコーヒーを淹れると、 ドリッパーの淵まで直ぐに膨れ上がったコーヒー液は、もちろんサーバー内へぽとぽととうまく落ちた様子の分と、磨り潰されたコーヒーの粒粒が ペーパーとドリーパーの隙間からサーバー内へ落ちた分が混ざり合っていた。 サーバー内に溜まったコーヒー液は、「少し濃いかなあ」と思いつつも何とか見栄えだけは上手く淹れれたようにも見えた。 二人は、サーバーからカップにコーヒー液を注いて、初めて自分自身で淹れたレギュラーコーヒーを、社長のところへ持って行った。


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   社長は「ありがとう。」と言いながら、二人の学生が淹れたそのコーヒーを口元まで持っていった。 社長は一口そのコーヒーを味わうと、少し間を置いてから二人に向かってこう言ったのである。 「今の若い人は、こういう味が好きなんだ。」 


おそらく、その味は濃すぎて、 おそらく苦すぎて、よくみればカップの底を見れば、ペーパーフィルタから溢れ出たコーヒー豆の粒粒が沈んでいる事も 社長は認識したはずであった。内心では「不味いコーヒー。こんなもん飲めたもんじゃない」と思ったに違いないのであるが、 特に叱責することもなく、澄ました顔で二人に対して「今の若い人は、こういう味が好きなんだ。」とだけ言った、 その時の社長の本心は分からない。単にその場の雰囲気を取り繕うためだけの言葉だったのかもしれない。 


 大学生活を始めた頃、その初めてコーヒーの経験以来、今日にに至るまで、何回も何回も、ほぼ毎日と言っても良いくらい このレギュラーコーヒーに接している。街にはSeattleコーヒーなどコーヒーショップが林立し、コンビニでも手軽に味わえるようになった。 自分でも少し上手にコーヒーを淹れることにも慣れた日々である。このコーヒーに接する度に、あの時の 社長の顔と二人に気遣ったあの言葉が頭に蘇るのである。(令和3年9月23日秋分の日に記)


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