◆「映画・スティング」◆


 


sting

 「映画」という言葉の響きで何を印象できるか。自分の場合は、すごく敷居の高い、入りにくいところだ。この印象は現在では薄れているが、学生のころちょくちょく映画館に行くまではずっと固定観念として持ち続けていた。何故にそうなったのだろうか、生まれ育ったところが田舎だったことが原因だろうか。小学生の時代には、およそ映画館に入ったかどうかも記憶にない。記憶にあるのは、小学校の学区内で一年に一回あるかの屋外とか体育館に特設スクリーンを敷設した映画鑑賞のイベントだ。屋外上映だから季節は夏だったと思う。「時代劇映画」が特にその頃は多かった。人気もあった。「総天然色」なんて言葉もその頃の言葉だ。夜の上映イベントだから子供にとってはとても眠くてつらかった思い出がある。村祭りが行なわれる大きな神社の境内に大きなスクリーンが張られて上映されたこともあった。地べたに座らなければならないのでそれぞれゴザなどを持参して鑑賞した。今から考えるとのんびりしていたものだ。  


こんな屋外での映画鑑賞会を除けば高校時代に学友と1〜2回映画館へいったことくらいしか記憶にない。はっきりと記憶に残っている映画といえば大学時代に鑑賞した「スティング」というアカデミー賞作品だ。たぶんリバイバル上映だったかと記憶する。主演は、ロバートレッドフォードとポールニューマン。シカゴの大恐慌時代が舞台で、ロバートレッドフォードが扮するチンピラ詐欺師(フッカー)が、ポールニューマンが役する大物の詐欺師(ゴンドーフ)と組んで、シカゴ等の裏世界を取り仕切るロバートショウ扮する大物ギャング(ロネガン)を見事にだまし討ちして50万ドルをせしめるというストーリーの痛快映画。この映画は、アカデミー賞を受賞することでわかるように脚本がすばらしい。何がすばらしいかというと、途中から映画の聴衆者をその大物ギャングと同様に見事にだまし打ちするところ。最後にそのネタが割れるのであるが、その瞬間には映画館の中で、感嘆と拍手が起こったのを覚えている。


  その後も何度か学生時代にも映画に行ったが、食って行くのがやっとの学生生活であったから、頻繁にとは行かなかった。学生時代につきあった友人と名画といわれるものはいくつか観たことを記憶している。就職後10年間、映画を観たかどうかの記憶がはっきりしていない。よほど忙しかったか。「映画」という言葉の響きは、今もってしても僕にとっては特有のものであるが、その後、映画の楽しさ特に洋画の脚本のすばらしさを教えてくれた。そのきっかけを与えてくれたのは友人である。映画の楽しさを発見させてしてくれたことに感謝している。 「スティング」の話にもう一度戻るが、この中でポールニューマン(ゴンド―フ)が、殺された友人(ルーサー)の復讐に焦るロバートレッドフォード(フッカー)を諭すシーンがある。「大物ギャングの(ロネガン)をやっつけるためには、通り一辺の方法ではダメだ。そのギャングとその組織が、だまされたということがわからないように騙し通さなければならない。」という台詞がある。この台詞をその後深く胸の奥底に焼きつかせていた。(平成14年7月15日記)



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