◆「英語との遭遇」◆


 昨今の義務教育プランでは、小学校から英語教育が導入され、2011年度からは小学校5年生から必修科目となっているようで、この英語教育の低学年化は今後も益々進展する気配の様子。自分が小学校時代を送った頃には考えもつかなかったことである。  英語との遭遇は、中学校1年。全国の大部分の同級生も同じであったのかもしれない。小学校5年生くらいの時だったろうか、初めて横文字のアルファベット26文字をつかって、ローマ字の表記を先生に教えてもらい新鮮な気持ちになったのを思い出す、6年生の時に、同じ村に住んでいた、先輩のH君に「中学生になると、英語教科が始まり、けっこう難しい。」と聞いていたものである。自分が、中学校に入ると、小学校時代のクラス担任制形式から、学科担任制となり、各授業科目ごとに先生が入れ替わることがとても新鮮に映った。


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 英語教科の担任は学年主任でもあった、T先生。最初は少し怖い感じがしたが、すぐにそうでもないなと思えた。教科書は、開隆堂出版の「New Prince・・・・」。全国的にも最も定番の英語教科書であったろうか。「英語は、難しい。」との固定観念で始まった私の思いは、授業が進むにつれて、「そうでもないな。」と気持ちに変化していった。むしろ、この中学英語の授業は、自分のレベルからは物足りなさを感じるようになっていた。そんな折、T先生が教室に教材を持ち込んでの授業が始まった。今の時代のような様々な映像機器、パソコンなど存在しない時代である。T先生が持ち込んできた2畳分くらいの大きな「掛け軸」を黒板横に垂れ下げたのである。この「掛け軸」には、英語教科書の各スキットに対応した「図、絵」が描かれていた。T先生はこの掛け軸の各シーンに対応する箇所を長い指し棒で,指示しながら、各生徒に英語会話の反復練習をさせていたものだ。  


私は、この各スキットの英語「内容」を聞きながら、実に冷やかというか、ちょっと引いた感じで、この掛け軸の「絵」を見ながら、スキットの反復練習をしていた。「Tomは、週末の休みに家族皆で公園にピクニックに行った。」とか「お父さんが、先週、飛行機でロンドン迄、出張に行ってきた。」とか。そんな風な内容であったと記憶する。「はて、週末に家族みんなでピクニックに行くとは、本当かいな?」とか「お父さんが、飛行機で出張するなんて、そんなことが日常的に行われているのだろうか?」とか、この各スキットの背景シーンを頭に思い浮かべながら、素直には受け入れられず、毎日疑いの眼でこの掛け軸を見ていたのである。当時の自分の生活環境、生活レベルとは、極端にかけ離れたこれらのシーンを想定した英語授業であったため、この英語授業は、「英語」という教科より、「異文化」を頭の中で体験学習する授業でもあった。私だけが違和感を覚えていたのかどうかは分からないが、他の生徒も似たり寄ったりの田舎生活であったので、同じような気持で見ていたように想像する。今から考えると欧米の生活様式、生活レベルと自分を取り巻いていた生活レベルの差の大きさを感じる英語の授業であった。


     英語教育は英米語の「言葉」を学習するものであるが、その言葉を使う社会的背景、文化的背景がその基になる。当時の私は、この「英語」の学習を単なる、学科の一つとしてとらえ、以後、大学受験時期まで、受験英語の勉学に没頭し、欧米文化、社会的背景、異文化の学習の機会などと捉えることはなかった。幸いにも、この受験英語の成績としては、そう悪い成績でもなかったが、もっとこの英語学習の機会を大きくとらえ、英語文化圏の学習を行う絶好の機会なのだと違った捉え方をしながら、この「英語」授業に臨むことができていたなら、数十年を経た今頃はもっともっと違った結果になっていたような・・・。 (平成29年11月4日記)


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