◆「袋田の滝」◆


日本三名瀑を尋ねられて、すらすらと答える人はおそらく少ない。華厳の滝、那智の滝とまでは出てきても「袋田の滝」を上げることができる人はよほどの滝マニアかもしれない。袋田の滝は、茨城県の最高峰の八溝山や断崖絶壁を擁する男体山と並び称される奥久慈の人気観光地である。春は新緑、秋は紅葉が美しい。水戸市からさらに北へ行った山深いところにある。古来、多くの文人墨客が訪れ、袋田の滝のすばらしさを詠んでいる。西行法師は「花紅葉よこたてにして山姫の錦織り出す袋田の滝」。徳川光圀公は「いつの世に包みおきけむ袋田の布引き出す滝の白糸」。


シャモニ1

この袋田の滝にかなり前に日帰りで友人と行ったことがあった。季節は残念ながら秋ではなかったかもしれない。上野から、特急列車スーパーひたち号に乗り込み、水戸市まで行った。そこから、水郡線の電車に乗って約一時間と少し、ゆっくりと袋田駅まで行った。袋田駅に着くとそこからはタクシーに乗る。駅前にタクシーは一台しか止まっていないような、鄙びた田舎駅だった。そこからタクシーに乗り、10分ほど経過したろうか、袋田温泉を通り抜け暫くすると小さな谷あいの町に辿りついた。町といっても、土産物屋などが立ち並んだ小さな町である。ここからはもう奥には行けないところまで行くと、タクシーを降りて歩いていった。袋田の滝の方向を示す立て看板を頼りにしてゆっくりとして歩いて坂道を登っていった。しばらくすると、トンネルのような道に入って行った。するとやがて右側の方角に視界が開けて、「滝」が見えた。それが「袋田の滝」だった。   


草枕4

友人は、その随分と前から、「袋田の滝」「袋田の滝」と言っていた様な気がする。「袋田の滝」に一度行ってみたいと前から言っていたのを記憶している。ようやく念願がかなって友人は満足げであった。初めてその滝を見たとき、頭の中で想像していた滝とは随分と異なっていた。「滝」と言えば、やはりあの勇壮な華厳の滝などを思い浮かべるのが普通であろう。自分もその範疇だったのである。袋田の滝は、別名「四度の滝」などと呼ばれているように、一度に滝つぼに水流が流れ落ちるのではなく、4回小刻みに分割して流れ落ちていた。また、滝幅がかなり広く、通常の滝と比べるとちょっと様相が異なる。大岩に伝う薄い水流の様でもある。日本の美しい四季の文様をバックにして、春夏秋冬の季節によってその美しい様を映し出すのだそうだ。二人が行った季節はその一端を見たに過ぎなかった。冬には、滝の流れが凍りつき、その異様な氷壁を眺めながら、滝つぼから上流へと滝クライミングをするスポーツも行なわれているそうである。 その四度の滝のなんとも言えない、大らかで包容力に満ちた滝の姿を胸に刻んでその時はその場を後にし東京へ戻った。


草枕6

「袋田の滝」は秋がやはり一番の見頃だ。最近、その季節に再び袋田の滝を訪れることがあった。20年も前に行ったきりだからなんとなくうっすらと覚えているが、今度は東京から車で行った。山間の小さな土産物屋が並んだ小さな町に車を止めて、川の堤防を少し登ると滝へのトンネルの入り口がある。上り坂のトンネルを少し歩くとやがて、右手に視界が広がり袋田の滝に再会した。やはり圧巻だ。再びトンネルに戻ると見慣れないというか、以前は無かった地下道の小路ができていてエレベータへの誘導路だ。いつのまにこんなエレベータができたんだろうとおもいつつ、そのエレベータで第2観瀑台へ。第2観瀑から望む袋田の滝は、20年前には見ることができなかったアングルで袋田の滝の全景を見ることができた。四度の滝と呼ばれる所以もこのアングルからははっきりと納得できた。
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再びトンネルに戻り、滝側の山裾に橋を渡る。もう土産物街へ下るだけと思っていたら、左手に山裾に沿った階段が上り口があった。連れがせっかくだから登ってみようとつられて登ったは良いが、その上り階段は延々と続く。先が見えない。フーフーと言いながら途中で休憩すること三回、四回。やっとの思いでふらふらになりながらやっと平坦な小路にたどり着いた。四度の滝を上から見下ろすように眺めることができる。山肌の紅葉が夕日に映えてとても美しい。この小路を辿ってもう少し奥まで歩いて行くと上流に「生瀬の滝」を望むことができる。袋田の滝のもう一つ奥の滝である。ここまで辿り着くまでの身体のあちこち痛みを一挙に忘れさせてくれる「生瀬の滝」の絶景である。またいつか再度、訪れてみたい。 (平成15年8月8日記、平成29年12月28日追記編集)


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