◆「兼六園が待っている」◆


 「気分転換に街へでも行ってきやんせ。」「うん、そうしようかな。」母のその薦めにしたがって私は街へ出かけることにした。その日3月18日は国公立大学の合格発表の日だった。朝から落ち着かない様子で居た。隠居所の二階にあった自分の部屋で塞いでいた私を見て母が気遣ってくれたのだ。「やはり駄目だったのかな。」三月初めに受験した国立大学受験の手応えは自分ではそれなりにあった、と思っていたがお昼前になってもどこからも何の連絡もなかった。私は村の田圃道を自転車でバス停まで漕いで行きながらこれからの進路についてあれこれと頭の中で考えをめぐらしていた。「まあ駄目だったら、次の受験をとりあえず頑張るだけさ。」バスは停留所から私を市街地まで運んでくれた。


街に着いても何するともなくブラブラと散策していたが気分は落ち着かなかった。思い切って公衆電話から既に卒業式を済ませた高校に電話することにした。組名と氏名を告げると、当直の込山先生が電話口に出てきた。「おお、山崎か。お前、合格だぞ。おめでとう。大学の先輩から連絡が有ってお前の家に電話しようとしたんだが、上手く連絡がとれんかったんや。」と言ってくれた。先生のこの言葉を聞いたのが午後3時頃だった。先生に御礼を言って、受話器を置いたとき、それまでのもやもやとしていた気持ちがすーとなくなっていったのを覚えている。再びバスに乗って自宅へ引き返した。


バス停に着いた時は、もうすでに夕暮れになっていた。自転車に乗り、村の入り口まで来たときに、母が道端にポツンと佇んで私の帰りを待っていた。「合格していたよ。」と私が言うのと同時に母が「電報来たよ。祝電が来たんよ。お前がなかなか帰ってこないもんだから、落ち込んで何処かへ行ってしもうたんやないかと心配していたんよ。」と母が言った。受験に失敗したくらいでそんな気持ちになるもんか、と思いながら、母のその気持ちを有難く受け取った。家に戻ると、祝電を見せてもらった。祝電には「桜咲く兼六園が待っている。」と書かれていた。(平成16年3月20日記)


鮎1

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