故郷、滋賀県の琵琶湖の北部(湖北地方、北近江)の冬は、厳しい。昨今は温暖化の影響か雪の量が全国的に減ったと言われる。北近江についてもそうなのかもしれない。だが時には豪雪になる年もある。滋賀県は近畿地方の一県であることから、関東地方に住む人からは滋賀の気候は温暖である印象が強いようだ。滋賀全体に対してのその印象は概ね正しい。しかしながら、生まれ育った、北近江地方にだけついていえば、その評価は正しくない。気候は、明らかに日本海側地方の気候と等しいといって良いだろう。北陸、上信越地方の豪雪地帯と何ら変わらない。冬になると湖北地方の霊峰、伊吹山(1377m)に北西の冷風がぶつかり、その北西側である湖北地方は豪雪地帯となる。1月初から2月初までの寒の時期は特に危ない。日本で観測された豪雪記録については、この湖北の霊峰、伊吹山が積雪記録:11m超という最高記録を持っていることがそのこと証明しているのかもしれない。
山の麓にある、この雪深い故郷で生まれ育った私の在所には数多くの雪に纏わる記憶がある。小学生の頃、「カーン、カーン、カーン」という、村の役人が打ち鳴らす「鐘」の音で目醒めることがあった。布団から跳ね起きて、窓から外を見ると、既に一面が雪で真っ白になっている。鐘の音も雪に掻き消されている。しんしんと降り注ぐ雪の中で、田んぼも畑も裏山も見渡す限り一面が雪の白さで覆いつくされている。視界のほとんどの色が雪の白さだけでかき消されて、わずかに灰色が残っている世界だ。「鐘」は、村の人が総出で村周辺の中心道路に降り積もった雪を除雪するための作業開始を合図するためのものであった。父もその時は、分厚い黒いマントを羽織り、雪かき作業に出ていった。しんしんと降り注ぐ牡丹雪は、そんな雪かき作業中の村人にも容赦なく降りそそぐ。一日でその作業が終われば良い。降り続く雪はしばらくすると堆く積り、次の日もまた次の日も再び雪かき作業を求めていた。
降り積もった雪は、山の麓の村でも1mの高さを優に超え、小学生が道を歩くと雪の高さにその姿が隠れてしまうほどだった。そんな雪深い村から小学校へ通う道途中での小さな「愉しみ」があった。雪が晴れ、お日様が顔を覗かすと田んぼ、畑に高く積もった新雪は、その表面がいくらか溶ける。そうして、次の朝も晴天になると、放射冷却の影響でか、その表面は「カチンコチン」に凍てつくのである。そのカチンコチンに凍りついた積雪の表面に小学生くらいの体重の人が乗ったとしても、足をズボッと雪の中に深ぶらせることは全くないのである。表面をそっと歩くだけでなく、走り回っても全く問題ない。田んぼと畑に一面に堆く降り積もって、真っ平らになっている新雪の上を、小学生の子供らは運動場を走り回るのと全く同じように動き回ることができるのだ。この時の爽快感は忘れられない。これを「凍みわたり」と言う。 (平成28年2月23日記)