「はよ学校へ行きやんせ。遅刻するよ。代わりに配達しておいてやるから。」と、玄関先にずっと立っていた私に母が声をかけた。「もうちょっと待ってみるよ。わるいから。」中学校への自転車通学出発するギリギリの時間までいらいらしながら待っていた。そうこうしているうちに新聞配送のおじさんのバイクの音が村の下の方から聞こえてきた。新聞配送のおじさんは到着するなり、申し訳なさそうな顔をして「ごめん、ごめん。また遅くなってしまって申し訳ない。はい、いつもの新聞20部。よろしくね。」そういうなり、おじさんは慌ただしくまた次の村へとバイクで駆けて行った。
そこからは私の仕事だった。自転車の荷台に通学カバンと共にその束ねた新聞を急いで荷台に括り付けて村の家々に新聞配達を開始した。山間の谷川沿い坂道に沿って長細く伸びた20戸の家が連なっていた。一番上にあるのは小高い石段を上り詰めた山腹にあるお寺であった。そのお寺の玄関まで息を切らして駆け足で登って行き、「おはようございます。新聞です。」と呼びかける。家人から「ありがとうね。」と、いつもの返事を背中で聞きながら次の家、次の家と上から下の家まで順々に自転車と駆け足で新聞を配達していた。北の端から南の端の家まで約500mあったろうか。通学前のちょっとした駆け足の運動だった。最後の家に新聞を配り終わるとスッキリした気持ちで、私はそのまま自転車を漕いで、約4km離れた中学校へと急いで行った。50数年前の毎朝、そんな新聞配達の朝があった。(令和6年12月25日記)