誰にでも得意なこと、得意技の一つ二つはあるもの。私の場合は、「字」だろうか。小学生時代から「字がきれい」「字が上手い」と周りから言われ続けてきた。小学生、中学生、高校生、大学生、おそらく社会人になってからもそう言われていた。自分では決してそうは思っていなく、そう言われる度に「大したことないのに」「字だけでなく、他にも褒めることもあるだろうに」「他はダメだと言いたいのか」と変にひねくれてその褒め言葉に向かい合っていたものだ。ただ、確かに他の人の字との比較では、自分自身の字の方がまし、とは思っていたことも事実である。この「比較」「差分の認識」力が自分では秀でた素質だと思っている。
小学校一年の時に、鉛筆を右手に持ち、漢字も含めて「字」を覚え始めた頃、右下がりの字を書いていた。そんな記憶がある。母は、この右下がりの字が気に食わぬと見えて、ことあるごとに「右下がりの字はダメ」「右上がりの字を書け」「筆圧をもっと強く」と小うるさく文句を言い、字の書き方練習を強要したものだ。母は私の字の先生だったのだ。母はそれこそ、字が得意で、特に毛筆は小筆の字がとても綺麗であった。母の目からは、その頃の私の字はまだまだ不十分に見えたのであろう。
小学校一年生の時だと思う。ひらがなの「れ」の字が綺麗に書ける瞬間があり、その時は学校から帰宅一番、母に「お母ちゃん、今日やっと『れ』の字が上手に書けた!」と得意顔に話したことを記憶する。小学校の低学年、特に1年2年のころだと思っているが、四角い桝目の書き方練習帳に何回も何回も、ひらがな、カタカナ、当時習い始めた漢字の練習をしていた。その時に、母は私の横に付いて、私の書く字を見守っては時折、手厳しく叱責し矯正していたように記憶する。母は、小学校時代から学科、教科のことは特に普段から何も言うことはなく、学校から持ち帰るテスト答案用紙を見ながらコメントするくらいであったが、この「字」についてはたぶん自分自身の「手」に自信があったからだろうが、そんな風に私に厳しく接していた。
小学校の高学年4年生になると毛筆を使う「習字」教科が始まる。硯、墨、毛筆と文鎮などが入った目新しい習字箱セットを持って何か新鮮な気持ちになったものだ。それまでの硬筆文字と違って、別の能力が問われるが「字を書く」ことについては同じである。毛筆文字は、いわゆる「筆使い」能力が問われ、かつまた、字のパターン認識力がクローズアップされる。左手に「お手本」を置き、それに真似て書けば良いのであるが字のサイズそのものが大きいだけに、ある特定の字を上手く書けたとしても、どんな字であっても上手く書ける領域に達するまで上達することが難しい。また「漢字」と「かな」入り交じりの書は全体のバランスが難しい。漢字とカタカナは、分解していけば、横線と縦線で構成される個所が殆どであると言えるので、筆使いを練習することは、縦線と横線を自由に書けるように練習するということに帰結するのであろうか。筆を寝かせるな、筆を立てろと、よく母は言っていたものである。漢字の縦線と横線の分解練習は硬筆も同じことである。そういう観点からみれば、曲線個所が多い「ひらがな」文字の方がより難しいのかもしれない。お手本に真似て練習を重ねることは誰にもできることであり、その努力さえすれば誰でも字を上手くすることができる。字を綺麗に見せるコツには、いくつかあると思うが、字のスペース、余白スペースとのバランス、また漢字とカナの入り交じり文章では、漢字を少し大きめ、カナを少し小さめに書くことなどがあるが、これも練習すれば造作なく習得できる。
字は、まずそのお手本のパターン認識力が重要と言ったが、これは漢字、カナに限ったことではない。私の場合、中学生になると英語を習い、スペリングを中一の時に教えていただいた。今もそうなのか分からないが、スペリング練習帳には横4線で構成されており、やはり、お手本の英字スペリングを真似てその練習を行ったものだ。26文字しかない英字のスペリングの習得は漢字、カナと比べると簡単で、上手いと言われるスペリングパターンを頭に記憶することはそう難しいことではなかった。以後、私の英字スぺリングを綺麗と褒められる局面も多々あった。
中学生時代の書道で、校内の展覧会はもちろん、校外展覧会で何回か入選したことがあった。地元の寺院主催の大規模な書道展覧会に、教頭先生がいつの間にか私の作品を応募していて、思いがけず大きな入賞盾を頂戴したことなどがあった。このように中学生までは無意識にも字の書き方術について習得していたのであるが、高校時代、大学時代は特段その能力を表す場面もなく過ごしたが、会社人になってからは、役に立つ局面も多くあった。今のようにワープロ、PCなどによる活字が蔓延っていない時代である。会社内で扱う、各種発信文章、図面、取扱説明書ドラフトの作成など、手書き文字で多量の文字を速く書かなければならない。そんな局面で私の字の書き方能力が役に立った一時代はあった。
今でこそ誰もがPCなどで手軽に身近に「活字」を扱えて、どんな悪筆であってもそれをカバーすることができる。今や手書き文字能力を見せる場面は、結婚式などの記帳の時や、年賀状の添え書き時くらいであろうか。母が先生となって私に教えてくれたその能力も宝の持ち腐れの時代なのかもしれない。母は晩年になって施設に入るようになっても、字を書く能力だけは衰えることはなかった。字を上手に書くことを通して私に教えたかったことを今更ながら振り返り母を偲んでいる。合掌。(令和4年11月23日 母の葬儀を終えた日に記)