坂道を登りながら、こう考えた。
智に働けば、諭される。
情に棹させば、嗤われる。
意地を張っても、無駄骨だ。
兎角に、このユビキタスの世は住みにくい。・・・・・・・
吾輩は、西暦2xx3年の猫である。名前は既にある。「ラスコリニコフ」。ドストエフスキーを愛する小説家の主人である苦沙美(くしゃみ)が3年前に拾った吾輩に命名したのである。主人を観察していると、このユビキタスの世に生きる人間の気持ちが手に取るように解って興味深い。長年待望されてきたこの完璧なユビキタス・コンピューティング社会に生きているにも拘わらず、この世の行く末を憂慮し昔のことをしみじみと懐かしんで「昔はよかった」と溜息をついている。この世はユビキタス・コンピューティング社会、真っ盛りなのだ。もうかなり昔になるが、2000年代の初め、猫も杓子も「ユビキタス、ユビキタス」と言葉だけが流行った時代があったそうな。何でもユビキタス(Ubiquitous)とはラテン語から来た英語で「遍在する」という意味だそうだ。すなわち水のように「何処にでもある(Anywhere)」という意味だ。ところがこの「遍在」を「偏在」と誤記して「何処にでもある」と言っている輩も随分多かった。音と旁は同じでも、一文字の部首が異なるだけでまったく逆の意味になってしまう日本語はやはりこのユビキタスの世でも難しい。
このユビキタス・コンピューティング社会が文字通り創造されたことについては、超マイクロコンピュータ無線チップの発明が大きく寄与した。体温を熱源にして電気エネルギーに変換する超マイクロ電池によって一生涯取換え無しで動作する画期的なチップなのだ。政府からオーソライズされた産院で人間は生まれると、既にユビキタス登録された両親の立会いの下に、その赤ん坊の耳朶にマイクロ無線チップが埋め込まれ、新たにユビキタス登録される。そして、指紋と虹彩のパターンがチップに埋め込まれ、その人が一生を終えるまでその人のユニークな識別子として使用されるのである。この世のありとあらゆる「人」と「モノ」に埋め込まれたチップはネットワーク(NW)に接続されている。IPv7のグローバルアドレスが付与され、この世のありとあらゆるチップはNWを介して自由に交信が可能なのだ。最近ではIPv7のアドレス枯渇問題をそろそろ心配する向きもある。
マイクロ無線チップは、人間のエージェントとしての役目を勤める。埋め込まれた人の微細な脳波を読み取り、解読・交信する能力も有しているので、人間の思考と五感そのものを認識することも交信することも可能である。まだ完全に征服できていないのは女性の第六感だけである。やはり神秘的なのだ。人間と関わる吾輩らペット、家畜の類も同様なチップを埋め込まれており、互いに交信が可能なのだ。その昔、「バウリンガル(Bowlingual)」などと称して、犬語などの翻訳機で一儲けした会社があったそうだが、このユビキタスの世では、犬だけでなくあらゆる動物はチップさえ埋め込めば、人と自由に交信できるようになった。吾輩も主人の苦沙美と交信できる。便利とも言えるが、昔のように主人をシカトして昼寝を決め込むことも出来なくなって却って不便にもなった。
このユビキタスの世は、一昔前と比べるとドラスチックにその通信の様相が変わってしまった。通信NWは、かなり前に「全光化」が完成している。ブロードバンド(BB)の定義も変わってしまった。この世では、1Tbit/s以下の通信をナローバンドという。とっくの昔にFTTH (Fiber To The Home)は世界の全世帯に普及し、この光ファイバを通してTV放送も超BB通信も可能となり、正に現実空間と差が殆ど無い、臨場感のある快適な仮想空間を各家庭へもたらした。政府の普及予測を大幅に下回り遅々として進まなかったFTTH展開は、政府の通信政策部門と放送政策部門を組織統合したら、あっという間に「通信と放送の融合」が実現され一挙に普及したのだ。やはり縦割り行政が最大の問題だったのだ。
有機EL(ElectroLuminescence)の大型3次元空間ディスプレイのお陰で、家庭は居ながらにして、すっぽりと電脳社会に取り込まれた。世界のどの場所にも、誰とでもいつでも交信でき、ありとあらゆる洪水のような情報を入手・交換することができるのである。1989年に封切られたBack To The Future Part Uという映画がヒットしたそうだが、2015年の未来社会を映し出し、主人公マーティが悪友のニードルスと上司のMr. Fujitsu Itoに大型ディスプレイを通じてTV電話通信するシーンが出てくる。このユビキタスの世の超BB通信はあんなものの比ではない。居ながらにして、世界の任意の場所へ電脳旅行することが出来るのである。その体験はマイクロ無線チップを通じて、人間の脳に「経験と記憶」として蓄積される。実体感ではない仮想体感ではあるが、その差は殆ど無いのである。また、睡眠中にその仮想体感をすることも可能である。やはりその昔に流行ったシュワルツネッガー主演の映画トータルリコールの世界である。このユビキタスの世では、電脳旅行会社HISが繁盛している。通勤地獄も解消した。超BB通信のお陰で居ながらにして家庭が完全なサテライトオフィスとなったのだ。月に一回だけ会社に行けばよい。行っても殆ど呑み会である。人という実体を運んで生業を立てていた旅客事業者は今や斜陽産業である。ああ、あの通勤ラッシュが懐かしいと主人の苦沙美がいつも言っている。
このユビキタス時代はコンピュータと対面業務する職業が大部分である。コンピュータ操作方法は、ただじっとして念ずればよいだけである。お陰で肩こりと吾輩と同じ猫背の人が多くなりマッサージ屋が大繁盛している。このユビキタスの世では衰退してしまった職業がいくつかある。教師、裁判官、弁護士、警察官そして泥棒である。世の中の学校の類は完全に消え去り、教師という言葉は死語である。泥棒が職業の範疇かどうかの議論は別にして、この世では、「お金 (Money)」という実体がすべて無くなり電子マネー化されているため、盗むべきものが消滅してしまったのである。バイオメトリクス認証とマイクロ無線チップのお陰で高度にセキュリュティ管理され、万物に識別子が付与されているので例え「モノ」を盗んでも直ぐに足がついてしまうため、泥棒は割が合わない仕事なのである。交通機関は全てコンピュータ制御され交通違反は全く無くなり、また泥棒も居なくなったので警察官は要らなくなった。お陰で、裁判の件数は減少し弁護士も裁判官の数も激減したのだ。この世の裁判は迅速である。人間による裁判官と弁護士はコンピュータ裁判官にとって代わったからである。ありとあらゆる判例と法律を一瞬のうちに判読し最適な判決を即断即決する。然し迅速になったのは良かったが、コンピュータ裁判官は冷徹無慈悲である。「人間」の裁判官が持っていた慈悲による情状酌量の余地が全く無くなってしまったのである。果たしてこのままで良いのだろうかと主人の苦沙美は嘆いている。
さて、ユビキタスの世は、快適なことばかりではない。大きな社会問題になっているのは、世界人口の大幅減少問題である。その昔の人口爆発と食料危機の時代が懐かしい。このユビキタス社会では、結婚しない若者が増加してしまったのだ。主人の苦沙美もまだ独身である。ユビキタスの世では、「プライバシー」という言葉は完全に死語と化し、ありとあらゆる情報が瞬時のうちに入手できる。睡眠中にでもマイクロ無線チップのお陰で、脳波を通して記憶に大量情報をインプットできるのだ。お陰で、この世の若者は「超」耳年寄りな若者となり、その結果、恋の適齢期になっても互いに「異性」に興味を抱かなくなって、「恋」を経験しない若者が急増しているのである。「雷に打たれたような」「不条理な心のうねり」という言葉で表現されていた恋心は、昔の世の無知な人間であればこそ持ち得る、内面から湧き出る秘めたるものへの憧れと好奇心による人間固有の煩悩の感情だったのである。このユビキタスの世では、その感情が萎縮してしまった。その結果、結婚は単なる次世代を残すための労務と化し、自発的に結婚しようというモチベーションが全く働かなくなってしまったのである。
逆にこのユビキタスの世での結婚生活は、その昔によく結婚後に揶揄されていた「哲学者をつくる」「忍従の道場」「人生の墓場」とかいう自嘲と慙愧の念の事例は殆ど無くなったが、無味乾燥な殺伐としたものに成り下がってしまった。結婚前の男女間相互の大いなる「無知」「誤解」と「疑念」があってこそ、結婚後の生活は豊穣たる経験を人に与えていたのである。このままでは人口が激減し人間社会は壊滅するかも知れない。そこで最近ではその昔は大手の通信会社だったというアウトソーシング会社が、マイクロ無線チップをして、NW側から仮想的な恋心を励起させる付加価値サービスを売り出し、政府の少子化対策補助金制度の効果もあって結構加入者数を伸ばしているそうだ。ひょっとしたらブレイクするかも知れない。
主人の苦沙美は嘆く。果たして、このユビキタス社会は、これで良いのだろうか、と。バーチャルリアリティとか言う言葉で表現されていた時代は、まだ良かった。実在の世界と仮想の世界は有ったが、あくまでも実在の世界が中心で仮想の世界を覗き見していた程度であったからだ。しかし、こうまで完璧なユビキタスな世は、電脳の世界による仮想空間が実空間を包含してしまった。人間は、饒舌なデジタル語で会話するマイクロ無線チップによってコントロールされ、本来人間が持つ曖昧さや誤解、内から湧き出る煩悩による感情がすっかり消え去ってしまったのである。このままでは、マイクロ無線チップの影響で、やがて人間の五感をつかさどる器官は盲腸のように衰退し、無機能な器官に成り下がってしまうことは猫の目にも明らかである。ユビキタスUbiquitousという言葉は「神は同時にいたるところに存在する」を意味する神学用語に由来するそうだ。大昔に神はその手により人間を創造した。創造された人間は、人間社会へ究極の快適さを提供してくれるであろうと、あらゆる「人」と「モノ」にチップを埋め込み完璧な電脳社会の実現を目指した。その完璧な実現への途中段階までは確かに人間にとって快適至極であった。しかし、ここまで完璧なるユビキタス・コンピューティング社会が実現されてしまうと、コンピュータによって完全に支配された電脳空間は、人間を中心とした居心地の良かった実空間を遠くへ追いやってしまったのだ。神は、この様な社会の到来を予期され、そして望まれていたのであろうか、と主人の苦沙美は今日も深い溜息をついている。吾輩はもう寝る。■(2003年7月記)