◆「嫁入りのお菓子」◆


 「うちの嫁さん」、「僕の嫁さん」の言葉を同僚・友人やテレビ出演者などが「嫁さん」を連発するたびに、「そこは、『嫁さん』でなくって、『妻』とか『家内』とか言いなさいよ、せめて刑事コロンボ風に『かみさん』とでも言ってよ、などと一人で心の内でつぶやいてしまう。 「嫁」は、妻に対して夫が使うべき呼称ではなく、舅・姑が、第三者へ話すときに使う、息子の妻に対する呼称である。「うちの嫁は・・・」と。まあ、言葉は時代とともに変化するので仕方ないかもしれないが・・・。 「女へんに家と書いて「嫁」とは良く書いたものである。 家長制度に基づく旧来の「家」に入るから嫁とよばれたのだろうか。最近の核家族時代では、本当の意味での「嫁さん」はもう居ないのかもしれない。「嫁もらい」と「結婚」とでは違うのである、「嫁」は単なる夫の配偶者という位置づけだけでなく、その夫の所属する「家」への配偶者だったのかもしれない。


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 ときどきテレビ時代劇等で「祝言」シーンを見るたびに、私の幼いころ育った村周辺でも同様の「嫁入り」シーンがあったことを思い起こす。春と秋の農閑期になると、そこかしこの在所で「嫁もらい」イベントがあったものだ。昨今の「結婚式」は、専用の結婚式場やホテルなどの会場を借りて行なわれるのが普通になっているが、40数年前までは、少なくとも私の生まれ育った村周辺では、時代劇シーンと同じ「祝言」すなわち「嫁もらい」イベントが行なわれていた。会場は当然ながら、その「嫁」をもらう「家」が会場となり、祝言本番当日だけでなく、その前日、いや前々日くらいからその祝言イベントが催された。 田の字型に襖で仕切られている家は、この大イベント時は襖が取り払われてその家全体が祝言の大広間と化していた。その家の親戚はもちろん、その村・在所の衆が招待され連日の宴会である。料理は何回も仕出し屋から運び込まれ、酒と料理が振舞われる。台所には近所の女衆が助っ人に借り出されて大忙しである。単に飲み食いを続け談笑しているだけのように見えたが、勿論、メインイベントは本番当日にある。まず、嫁入り道具が運び込まれる。「荷宰領(にざいりょう)」と呼ばれる、「嫁入り道具」の荷運び使者が花嫁の実家筋から立てられて、その嫁ぎ先家へ荷物実物が届けられ、「目録」が手渡されるのである。「花嫁荷物」は、いわゆる「箪笥・長もち、鏡台」の類であるが、この花嫁荷物は時代の変遷とともにその内容が変わって行った。箪笥は一般的であったが、長もちは廃れ、代わりにミシンや電化製品各種が時代とともに変遷して行ったかと記憶する。その花嫁荷物の「派手さ」は、近所の「家」の間で「見栄っ張り」度が次第にエスカレートしていったかと記憶する。  


祝言のクライマックスはもちろん、本番当日の「嫁入り」シーンである。仲人夫婦に引導されその嫁ぎ先家の玄関の敷居を跨ぎ、入り口座敷に上がると、まず仏壇に手を合わせて、その嫁ぎ先の両親に挨拶を行う。そうして最初の花嫁の仕事が「三々九度」の盃だったようだ。見合い結婚が通常だったこの当時は、この三々九度の盃シーンで初めて、互いの顔を合わせた、ということも多々あったそうだ。テレビの祝言シーンでは、この三々九度のイベントは衆目の前で行なわれているように描かれることが多いが、私の田舎では、この三々九度の儀式は、奥座敷(寝間など)でごく近い親戚だけでとりおこなわれていたよう記憶する。この三々九度の盃の儀式には、稚児役の晴れ装束を着た女の子(小学生)が、「銅製やかん」風の酒注ぎ器を使って、三々九度盃に「固めの酒」を注ぎ、花嫁、花婿が互いにその盃を呑み干して、その「夫婦契り」儀式を終える。花婿は、この三々九度イベントでは「主役」の一人であるが、その他は脇役といってよい。やはり、「主役」は、他の村・在所から嫁入りしてきた「花嫁」である。その一挙手一投足を村中の衆目が集中していた。この時に、うっかりした「ミス」を行なうと、その花嫁は、その村でのその後の生活で、いつまでもそのミスを「酒の肴」にされたものである。  嫁入りイベントだけでなく、冠婚葬祭のどれをとっても、同じような酒宴であり、楽しみごとはそれしかなく、村中のどの家もこういうイベントを「節目と目標」にしながら生活を送っていたように記憶する。現代と違って、「生活圏」の範囲は狭く、その範囲の中で「嫁入り」イベントも執り行われていた。互いに見栄を張りながら生活し、その見栄っ張り振りが一種の生活エネルギーとなっていたのかも知れない。


「嫁入り」イベントで、幼いころの懐かしい思い出がある。花嫁さんはその嫁ぎ先家のある村の入り口付近まではハイヤーに乗ってくるが、そこからはハイヤーを降りて、その嫁ぎ先家の玄関まで仲人に引かれながら、静々と歩いて行く。花嫁行列である。その間、長もち唄が歌われる。「嫁入りなーーーり。めでたーいよーー・・・・」とか。詳しくは忘れてしまったが、この花嫁行列の沿道両側には村の衆が「どんな花嫁さんだろう。」と目を皿のようにして注目していたものだ。また、この時に花嫁を見に来てくれた沿道の皆に、「お菓子」が振舞われるのが常であった。このことがわかっていた近所のガキどもは、「今日はあの村で嫁もらい行事がある。」と聞きつけると、花嫁さんには興味など無くとも、とにかくその「嫁入りのお菓子」獲得を目当てにその花嫁行列の沿道に駆けつけたものである。 (平成29年4月4日清明の日に記)


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