◆「草枕」の舞台を訪ねて◆


 漱石の小説「草枕」。冒頭の書き出しの文章はあまりにも有名である。草枕を最後まで読んだことがない人でも諳んじることができる:


   山路を登りながら、こう考えた。
   智に働けば角が立つ。
   情に棹させば流される。
   意地を通せば窮屈だ。
   兎角に人の世は住みにくい。


しかし、この流れるような書き出し文章に続く、第二弾の文章を諳んじて言える人は少ない。


   人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
   矢張り向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。
   唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
   あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
   人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。


草枕6

とある。有名な書き出しの文章よりも、この第二弾の文章は言い得て妙だ。 私が小学生の頃、この「草枕」談義を父と兄がやっていたのを記憶する。兄が「「草枕」の舞台がまだ熊本に現存する。」、と父に語っていた言葉がずっと頭にこびりついていた。いつか機会があれば、その「草枕」の舞台を訪ねてみたいとずっと思っていた。


 数年前に、たまたま所用で熊本まで行った際に、少し余した時間があったので、この草枕の舞台を訪ねたことがあった。
 大牟田市と熊本市の丁度、中間地点に玉名市がある。この玉名市まで電車で行き、そこからレンタカーを借りて、国道501号線を少し南下すると、小天温泉があり、そのすぐ近くに、「前田家別邸」という、草枕の舞台となった遺跡の家がある。


草枕4

これが小説・草枕の中で、主人公の青年画工(漱石自身)と那美さん他を描写された舞台「那古井の湯治場」である。
 前田家別邸の中に入ると浴場跡があり、観光客の向けの紹介看板が立てられていた。本館跡はもう何も残っていない。屋敷全体跡を見ると、草枕の中で描写されている、隠居所(はなれ)、風呂場跡、今や竹藪となっているが、庭の前栽跡などがある。すべて、残っているわけではないが、草枕の中で描写された各シーンを思い起こし、重ね合わせて見ると興味深い。本館跡とつながった、横に長い平屋家屋の浴場があり、右手奥に進むと風呂場跡らしきものがある。最初はそれがなんだろうと直ぐには分からなかったが、確かに風呂場である。地面レベルより、1mほど少し掘り込んであり、階段で下がったところに湯船がある。


草枕2

湯船の大きさはさほど大きくはない。これが、草枕の中で主人公の画工が湯船に漬かっていると、後から那美さんが手拭を持って階段を下りてきて、湯気の中でぼうっとするシーンが描かれているが、これがその風呂場であると気が付くには時間がかかった。 一方、隠居所(はなれ)は、この長屋の風呂場の奥にあった。奥には、前栽の跡らしきものがある。おそらく、この前栽は当時は趣向を凝らした、さぞかし立派で広大な庭の前栽一部であったのだろう、と想像できた。その横に階段があり2、3mほどレベルが高くなったところに、その隠居所(はなれ)跡があった。完全ではなく、一部が遺されているだけだが、母屋(本館)とはおそらく長い廊下と階段でつながっていたものと想像された。この隠居所(はなれ)も草枕の中で描写されていたシーンを思い起こす。


草枕3

この隠居所(はなれ)から、本館跡、風呂場跡の方を見下ろすと、この舞台を一望できる。  このいまや遺跡となった「前田家別邸」は今では観光客もめったに来ないのか、ひっそりと佇んでいた。
 この前田家別邸から坂道が小高い丘に向かって、小路が伸びている。この小路を登ってみると、小高い丘の上に登ることができる。ミカン畑が周辺に広がり、有明の海を一望できる。潮風の中、日当たりがとてもよく気持ちよい。漱石が描いた、草枕の名文章はこんな温暖な地で日々を過ごすことができたから生まれたのかな、などと想像しながら、この小説舞台の地を後にした。
(平成24年11月玉名市訪問、平成28年5月20日記)

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